洞名由来


新沙洞

新沙洞は漢江沿いに位置し、セマルや沙坪里等と呼ばれていた。朝鮮時代の自然集落に関する言い伝えによるとこの場所に沙坪院という酒場があったという。また、ここには市場が形成され、朝鮮後期には松坡市場を中心にこの地も栄えた。1624年の李适の乱の際には、仁祖が早朝に都城を抜け出し、沙坪院に身をひそめたこともあったという。1925年には乙丑年の大洪水により全住民が移住し、砂原のみが残された。
セマルとは、漢江東側に新たに形成された村(セ=新しい)であることから名づけられたもので、新村とも呼ばれ、現在の漢南大橋そばにはセマルと漢南洞を結ぶセマル渡し場があり、新沙渡船場とも呼ばれていた。
/WEB-INF/jsp/egovframework/global/cts/CONTP001/view.jsp