洞名由来


水西洞

水西洞の名称は、この地の西側に漢江が流れていたことにちなんで名づけられた。水西洞はかつてクンマル、クンチョン(クン=宮)とも呼ばれていた。これは、この村に朝鮮王朝太祖の7番目の子である撫安大君芳蕃夫妻と奉祀孫(祖先の祭祀を受け継ぐ子孫)である広平大君夫妻及びその子孫の墓所があるためである。水西洞は朝鮮時代末までは京畿道広州郡大旺面水西里であり、1914年3月1日の京畿道区域確定の際にも京畿道広州郡大旺面水西里として残ったのち、1992年10月1日に逸院洞から水西洞が分洞された。

水西洞には炭川に面する地域側に南部循環道路がオリンピック公園まで続き、紫谷洞•栗峴洞•細谷洞を通り、城南市に続く道路が交差する水西洞インターチェンジがあることから、重要な交通施設としての役割を果たしている。

大旺面水西里(1914)→松坡出張所水西洞(1963)
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