洞名由来


論峴洞

論峴洞の名称はノンコゲという峠に由来している。この峠は現在の論峴聖堂近くに位置し、特に江南郵便局北側から盤浦アパートまでの谷の左右に田畑が連なっていたことから、ノンコゲ(ノン=田んぼ、コゲ=峠)と呼ばれるようになったという。論峴洞は朝鮮時代には京畿道広州郡彦州面論峴洞であったが、自然集落であったオンクビ(ビマル)、チョルゴル、ブチョマル等を統合し、ノンコゲの名をとって論峴里となった。

1977年に新沙洞から論峴洞が、1980年には論峴洞から鶴洞が分洞され、1982年4月10日の江南地域一帯の区画整理事業の完了に伴い、鶴洞全体が論峴洞に編入された。鶴洞の名称は村の形が鶴のようであったことからつけられたもので、鶴室、鶴里、鶴谷等とも呼ばれていた。また、論峴洞はノンコゲ、ブチョマル、ビマル、チョルゴル、オングミ集落、アングミ集落、ジョンサンイ集落等で形成されており、ブチョマルは現在の鶴洞派出所周辺に月峰庵という寺(ブチョ=仏)があったことから名付けられ、別名彦九碑とも呼ばれるビマルは、かつて広州留守が陣を置いた地で、それにより洞民の生計が成り立つようになったことを称えてこの地に功徳碑を建てたことから名づけられた(ビ=碑)。チョルゴルは現在の論峴洞事務所周辺にあった集落で、寺(チョル)があったことからつけられた名で、寺洞とも呼ばれていた。アングミ集落は三井ホテルから市営5団地の間に、ジョンサンイ集落は論峴洞125番地一帯、現在の論峴1洞事務所向かいの永東市場側家具店裏手付近に、オングミ集落は永東市場付近に数世帯が自然集落を形成したものと伝えられる。

彦州面論峴里(朝鮮時代)→彦州面清潭里(1914)→彦州出張所清潭洞(1963)
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